先日、Twitterで見かけた論文が面白かったので、上記のようにツイートしたところ。2日ほどでそれぞれ2,000以上のリツイート(RT)とお気に入り(Fav)がついた。
……は?
私のツイートって、これまでせいぜいRTとファボの合計20ぐらいで「おお!」となるぐらい。それが、それぞれ2,000って……。


ま、この騒動についてはさておき。

この論文がいろいろおもしろいので、じっくり分析したいと思う。

まず重要なのは、これが京都大学、しかも工学部の論文であることだろう。
最初、デイリーポータルZとかオモコロとかGigazineとか、そういうちょっとしたネタ系の記事だと思ったぐらいである。執筆者の所属は「京都大学工学部情報学科」等になっている。掲載雑誌がわからないかいろいろ調べてみたが、判明しなかった。ほかの方のツイートに「研究成果論文」とあったので、そうなのだろう。
しっかりした(少なくともそう思える)論文の体裁をとり、実験も行われている。文系分野ではなく理系分野であること、その手法が取り入れられていること。それとお土産、それも八ッ橋の選択に関する問題という身近な話題をからめている点に面白さ・可笑しさが生じている。

また、どうも大まじめらしいが、そこかしこにネタ的な要素がある点。
比較実験の方法について、三案を提示しその中から最も妥当だと思われる方法を採用しているが、「一対比較法」を否定する際には、
例えば20ペアの比較を行うには40個の八ッ橋を食べる必要があり,先に述べたようにオナカの面でもコストの面でも厳しいことになる
などという表現がなされている。「そりゃそうだwww」という感想と共に、論文中にときどき出てくる「オナカ」と「コスト」という表現にも笑わせられる。論文に「オナカ」という表現は如何なものかと思うが、ま、いいのかな…語呂もいいし…。

なんだかよくわからない数式も出てくる。数学への苦手意識が強いまま大人になった私としては、それだけで圧倒される。が、よく見ると、∑だのlogだののムズカシイ数式の中にでてくるy1、y2…が「yatsuhashi」の「y」であることに気づいたり、「八ッ橋の美味しさベクトルs」というなんとも不思議なフレーズがあることに気付かされているのである。

また、この論文および実験のすばらしいと思う点には、偏った嗜好に対する措置がとられているということもある。
例えば,極端に甘いものが嫌いな評価者は,全く甘くない珍しい八ッ橋を常に他の八ッ橋より美味しいと評価すると考えられるが
……私のことか。いや、昔に比べたら、あんこも食べるし甘いもの食べることも増えたが、それでも甘さ控えめを好む傾向にあり、自分の好みが人とはずれているだろうなぁ、と想像はしている。そういう平均からはずれる「ノイズ」の存在も考慮し、結論を2つ出していることがすばらしいと思う。
時間はないが確固たるエビデンスに基づいて美味しい八ッ橋を求める方は聖護院八ツ橋を
誰もが知っている京都の代表的なお土産である八ッ橋の中でも一味違うところを見せつけていきたい方は京栄堂の八ッ橋を
だそうである。

一方で、気になる点もいくつかある。
まず、「餡入り生八ッ橋」のことを「八ッ橋」と呼んでいることである。
八ッ橋は本来「堅焼き」がソレであり、生八ッ橋についても皮と呼んでいるアレが「生八ッ橋」の本体であるはずだ。実験にニッキ味・つぶあん入り・生八ッ橋を選択するのは最も妥当なことであるが、用語の選定・定義には慎重になってほしかった。

また、「都八ッ橋本舗」が「聖護院地区からの候補過多のため」に実験対象外とされているが、理由として納得いかない。ほかの銘柄については、除外の理由もわかるが、聖護院が一大八ッ橋ゾーンであることは、歴史的経緯から見ても当然であるので、そこは除外するべきではなかったのではないかと思う。
黒谷さんこと金戒光明寺に八橋検校の墓所があり、かつてその黒谷さんへの参詣のおりに茶店で出された菓子が八ッ橋の原点である、という一説がある。八ッ橋店舗のひしめく東山丸太町の一角には、熊野神社がありそこには八橋検校の像と共に「八ッ橋発祥の地」の碑もある。その流れで、聖護院地区が「八ッ橋ゾーン」ともいうべきある意味京都らしい特殊エリアになっているのだ。「都八ッ橋本舗」もそこにある。
そもそも、地区が偏ったからといって特に問題はないのではと思う。

評価者が9人というのも、現時点では仕方ないかもしれないが、もう少し多くほしいところである。
もしかしたら、数学的あるいは統計学的にはじゅうぶんなサンプル数なのかもしれないが、「確固たるエビデンス」と呼ぶのならもっとほしいと思うのが正直なところである。ただ、そうなると「コスト」の面で大変になるのかもしれないが。

だがしかし、ともすればブランドのイメージや知名度、パッケージ、あるいは名称などという不確かなものに基づき選んできた「八ッ橋」という菓子について、科学(数理)的見地から実験・論考を行った点は称賛に値するだろう。


ところで、京都の人は「八ッ橋を買わない、食べない」のである。最近たまたまその話をすることがいくたびかあったが、いずれも「久しぶりやわぁ」「買わへんわ」「食べへんわ」のオンパレードであった。あれば(もらえば)食べるが、自分で買って食べたりお土産に選んだりすることはないという。
おそらく、京都人のプライドというもので、「八ッ橋なんて“最近”のお菓子」「八ッ橋は堅焼き」「アレは修学旅行生が買うもの」という感覚があるのだと思う。ニセ京都人である私もそう思ってる。あの袋を提げて歩くのはちょっと…と。

私としては、そういう京都人感覚の方について調べてみたいものである。たぶん調べることはないと思うが。


さて、「平均とズレた味覚の持ち主」だと自覚する私は、「平均とズレた味覚の持ち主」たちが選んだ「京栄堂」の八ッ橋を買ってまいりました。


おいしかったけど、ほかと比べてどうか、という問題は実験と同じようなことをしない限り難しいのではないかと感じた。そんなにしょっちゅう八ッ橋食べないし。まぁ、おいしいような気がした。


それにしても、これまでブランドのイメージやパッケージ等で選んでいた私たちは、「京大の工学部の論文」という新たな指標で八ッ橋を選ぶことになったともいえる。
多くの人が、リツイートやファボ、ブクマ等したおかげで、ネットのニュースにもなり、「多くの人が支持した論文に書かれているから」という理由で当該八ッ橋を購入する人も現れるかもしれない。
「なんだかよくわからないがムズカシイことを研究している人たちがちゃんと実験してるみたいだから確かだろう」という思いがあるのかもしれない。
そのような、人の意見に左右されやすい社会というものにも、すこし危機感を感じる今日このごろである。

私は、お土産を選ぶときは、八ッ橋が好きな人には八ッ橋を、甘いモノが苦手な人にはそのように、その人の好みや家族構成等から総合的に判断して、最後まで自分で吟味する。
それが、京都におけるお土産の作法というものだろう。そういう京都人が、好きなのだ。

※「やつはし」の表記は「八ッ橋」「八ツ橋」「八橋」等が考えられるが、当該論文の表記が「八ッ橋」であったため、変換では出なかったがそれを用いることとした。