祇園祭ですね、毎日暑オスなぁ。
前祭の巡行が終わったので、(私としては)少し一段落しました。祇園祭楽しいですねぇ。
さて、今年は宵々々山見物に行くまでは全く祇園祭の気配を感じることができなかったので、念願だった『宵山万華鏡』を読むことにしました。 
 
宵山万華鏡

宵山万華鏡
著者:森見登美彦
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で、この話、私は怖かったんです。ゾクッとしました。(でも、キライじゃない)
けど、友人にそのことを話したら「何言ってるのコイツ」的な顔をされました。モリミーっぽくて楽しくなかった? ちょっと不思議なところはあるけど…みたいな。ね。

そこで、はたと気づいたのです。私は、この話が現実にあり得るかもしれない、と思っているフシがあるんだと。
まず、京都という街と祇園祭の宵山が持つ不思議な気配とか雰囲気とかが、あり得なさそうなことが起こりそうなそんな下地をつくっている、というのはあると思います。

それよりも、私は、いわゆる「無限ループ」というのが、怖いんです。なぜ怖いのかというと、自分にも起こっているんじゃないかと思っているからなんですね。(またこいつアホなこと言い始めたで…)
このお話の中に、宵山の1日をえんえんと繰り返している人物が登場するのですが、まぁ、普通は「そんなことない」「ファンタジーの話」で済むんでしょうが、何しろ私、夢から醒めない夢を見続けたこともありますし、経験しているはずのない会話の記憶があったりしますし、そういうことがしょっちゅうなので、どこかでループしてるんじゃないかな、と思っているのですよ。ハイ。
「この人とこの会話するの、出会ったタイミングからすると初めてのはずなのに、初めてじゃない、って思うことがもうすで何度かある」というのがたびたびあるのです。いろんな場面で。
おかしいですねぇ。(私の頭が?)
未来の分の記憶を持っているか、私の人生のどこかのタイミングでループしていてその記憶がぼんやりある、ということですよね(断言)
そんな私なので、祇園祭の宵山から抜け出られないループ、というのはちょっと真実味のある怖さとして感じられるということです。

う~ん、『宵山万華鏡』怖いよね、という話を書きたかったのに、私がたぶんアブナイこと言うコワい人だと主張してるみたいですね。ま、いいや。 

「宵山姉妹」を“ちょっと不思議なファンタジー”と読んで、「宵山金魚」「宵山劇場」を“阿呆の楽しい話”と読んだのに、「宵山回廊」「宵山迷宮」と読んだら“無限ループ”でてきてこれは…となって、最後の「宵山万華鏡」まで読むと最初の方のちょっと不思議なちょっと可笑しい話が実は?…となってもう一度最初の「宵山姉妹」からもう一度読みたくなるという、この1冊でループしてしまうはめになりました。
恐るべし、『宵山万華鏡』……。

私がけっきょく16日の宵山に行かなかったのは、これを読んだからじゃないですよ。
だって、今年(2014年)から宵山も前祭と後祭に分かれたので、あの場所(室町三条下ル)で宵山の雰囲気は味わえないんです。
ちょっとホッとしつつ、後祭の宵山も行ってきます。

宵山様に出くわしませんように……。