私は、この物語を、最も理解できる人間のひとり、ではなかろうか。――などと、思わないでもないほどの背景設定。というのも、主人公は佐賀県出身で、京都の嵯峨野に出てくる話なのである。Saga to Sagaである。だから、“嵯峨野”物語であり、“佐賀”の物語であるともいえるかもしれない。
戦争未亡人であった武上春恵は、ひとり息子を就職列車に乗せて送り出してすぐ、自分も新天地へと旅立つ決心をする。
――人の目がいつでもどこかで光り、噂話が朝から晩まで木々のさやぎのようにきこえる田舎町。(略)田舎暮しの窮屈さ、息苦しさが身に染みた。
……と、故郷の佐賀を離れて憧れの京都へ。
――京都にあこがれる女に、京都の人々が冷たいわけはないと信じていた。
実は、7年ほど前にいちど読んだことがあったのを、最近思い出してもういちど読んでみた。最初の時は、ストーリーに、主人公に感情移入し、相変わらず悔しい話に涙をこぼした。ただ、京都の描写のことはよくわからない部分もあった。この間の7年というのは、私自身結婚し、20代から30代になり、まぁ元からピチピチ感はそうはなかったがいっそうおばさんらしくなり、京都の東山とか左京といった東の方から西の嵯峨の方へと移り住み、京都のいろんなことを見て歩くことが好きになっていった時期である。
京都の各所を見て歩く場面、また嵯峨野の風景が描かれている箇所などは、ああ、あそこ……とはっきり目に浮かぶようになった。釈迦堂のお松明の様子など、以前はふーん……ぐらいのものであった。今となっては、え、そこにそんなお寺ないよね、と寺の名前の誤植さえもわかるようになってしまった。かつては、佐賀の風景なんか描かれても誰も分からないだろうに、と思っていた。つまり、佐賀のことがわかって読む人が少ないだろうから私はその分有利(?)みたいに思った。けれど、実は嵯峨野の風景も行ったことないと、読む側にとっては全部いっしょくたに「なんとなく美しい描写」でしかないんだろうな、と思い至った。
それと、言葉。何の解説もなしに、佐賀弁と京ことばが出てくる。
「どうどすやろ。あんたはん、この店を手伝うてくれしまへんやろか。嵯峨野におりたいのやったら、ちょうどええやおへんか……」
といった京のことばはまだしも、
「どがんかなるやろ。それに、いつまでもここに厄介になっとも心苦しかでしょうが。息子が一人まえになった以上、私も負けとかれんけんね。京都へいくけん」
という佐賀弁がするっと読める人は少ないのではないだろうか。この作者さん、ホントに佐賀から出てきて京都に住んでいたんじゃなかろうか、なんて思ってしまう。そうそう、最初は佐賀弁だったのが、だんだん土地の言葉に慣れていくのよね……。
それから、前に読んだ時はこの話が実際に起こった事柄を題材にしているとは全く知らなかった。数年前に工藤芝蘭子なる人物が実在していたと知り、つい最近、かつてそういう事件があったのだと知った。
この話、中盤からの主な舞台は嵯峨野・落柿舎である。春恵さんは落柿舎の留守番・手伝いの職に就き、庵主である俳人・工藤芝蘭子(工藤九郎)との生活が描かれる。そもそも、かつては“芝蘭子”なんて読めもしなかった。“しらんし”と読むと知った時は「そんなん知らんし」と思ったモノであったが、まさか“芝蘭子”さん自身が「知イらんし」という意味で名乗っておられたとは。
その芝蘭子宗匠は、かつては堂島の相場師、夜の街もブイブイ言わせておられた(イメージ)方だったのが、後半生は嵯峨野の落柿舎保存活動などに携われた。戦後の人々の生活も落ち着きだし、新幹線も開通し、そういう頃に多くの人が京都・嵯峨野を訪れた。落柿舎では入場料を取らず、元禄のまま去来のいた頃のままの雰囲気を守ろうとしていた。が、いろいろあって突然庵主の芝蘭子さんが追い出される事件が起こる。クライマックスに近い場面であるので、ぜひ本書を読んでいただきたい。また『集成 落柿舎十一世庵主 工藤芝蘭子』という本も併せて読むといっそうわかりやすい。ちなみに、この『集成――』を読むと、「武富さん」なるお手伝いの女性がいたと書かれている。「武富さんは、薙刀でも使ひさうな、女のますらをであった……」とあり、ああこの人だったんだろうなぁと思える。
農家の娘ながら、葉隠の佐賀の女である。恥辱は死をもってつぐなえと少女のころ教えられた。媚を売って生きるくらいなら飢えて死ぬ。その程度の心意気はもっている。
「……サガはサガでも私は佐賀の女ですからね。ただですむと思ったら大まちがい。ひどい怪我をしますよ」
である。現代のすこやか佐賀っこは、葉隠を仕込まれてはいないけれど、それでもその気概は多少なりとも受け継がれていると思わなくもない。自分をふり返ってそう思うのだ。
夫との結婚生活、佐賀での江頭との恋愛と失敗、京都での工藤との生活、坂口との応酬――。どれをとっても苦労するのは女ばかり、という話である。
男と女の関係で、苦しむのはだいたい女のほうだ。
という春恵の諦観は当然だ。とはいえ、男と女のこと、人間同士のこと、どちらが悪いとかいう話ばかりではない。愛憎いろいろ入り乱れる思い――武上春恵の気持ちで読んだ。
嵯峨野はけっしてとくべつな土地ではないと春恵は思った。美しい山河があり、意味深い史蹟がある。が、それ以上にさまざまな人物がいた。男と女がいた。いろんな人が、それぞれのいいぶんをかかえて生きていた。おなじ人が仏になったり鬼になったりした。聖者でもあり、獣でもあった。春恵自身もそうだった。なかへ入って暮してみると、嵯峨野はよその土地とまったくおなじだった。日本の国の一部だった。
落柿舎には、ずいぶん昔に行ったきりである。もちろんこの物語を読むずっと以前である。この『嵯峨野物語』を二度読んだ今、もういちど訪れてみたい。皆さんもいっぺんどうぞ。もちろん、読まずにただ「感じ」に訪れてみるのもアリだろう。
知識でなく感覚で嵯峨野を好きになる
――そういうものであるらしいから。
(阿部牧郎「嵯峨野物語」1983年8月、文芸春秋)