誕生日、ありがとう。

 今年も誕生日を迎え、ひとつ年をとりました。ありがとうございます。年をとることを嫌悪し抵抗しても、日々年はとるものなので、肯定的に受け止めています。いや、チガウな。そんなことではなく、むしろはっきりと、たんじゅんに、誕生日うれしいです。みんなも、素直になればいいのに。それとも、私が子どもっぽいだけなのでしょうか。
 今年の誕生日は、日曜日なのにもかかわらず、仕事でした。昨年も土曜日でしたが、仕事でした。一昨年も仕事でした。結婚してこの方、飼い主と一緒に休んだことがありません。同じ職場で働いていた頃、「来年は月曜日だから2人とも休みだねぇ」と話していたら、次の年に飼い主は異動しました。もっとも誕生日に働くことなんてフツウのことで、みんなそんなものでしょうけどね。
 そんなことをぼんやりと考えていて、ふと、これまでの誕生日を振り返ってみたくなりました。2004年以前の手帳がないのが残念ですが、若かりし頃の(ちょっとハズカシイ)文章も見つかり、忘れていた記憶がよみがえりました。記録は大事ですね。なので、今年、ここであらためて記録しておきます。時系列はあえて無視してます。

 2008年。たったひとりの家族である飼い主に、当日まで思いっきり忘れられる。「大丈夫、忘れているのもわかってる」
 2006年。結婚して初めての誕生日。ディナー。でも、食後に具合悪くなる飼い主。
 2001年4月…5日? 職場の人たちと花見。のちの飼い主と初めてまともに話す。確か「昨日誕生日だったんですよ」と話したような。以下略。印象…別によくもなかった。なのに、今は一緒にいる不思議。

 あれは、いつだっただろう。小学校に入る前後くらい、だったかな。お兄ちゃん(次兄)が誕生日プレゼントをくれた。指輪セット。300円。のはず。一時期「300円だった」(き)、「いや、500円だった」(兄)…で揉めたけど。絶対300円だったって。
 値段はさておき。その当時、ものすごく喜んで、嬉しくて、ずっと大事にしていた。未だに「もらって嬉しかった誕生日プレゼント」ベスト3に入るんじゃないかと思うくらい。……けど、いつの間にかなくしちゃった。だから、記憶の中で大切にしています。ネタじゃなくて、ホントですよ。ホントに感謝してるし、嬉しかったんだよ、お兄ちゃん。

 1986年。12月。小学校入学当初からの友人が突然遊びに来た。ホント、突然。そして「誕生日とクリスマスとその他のプレゼント」と言ってプレゼントをくれました。8か月遅れ?、それとも4か月早い?誕生日プレゼントはマグカップでした。そのマグカップは、1995年4月15日に持ち手がはずれ、接着剤のお世話になりながらしばらくカップとして使い、その後箸立て代わりに使い、今はご臨終されてわが家にはおりません。いつだったかその友人が私の家に遊びに来たとき、自分があげたことも忘れて「かわいかね」と言ったのが印象的でした。
 1991年。7月。高校生の夏。中学時代に仲のよかった友だちが、クラスの違う私のところにやってきた。「これ…すっごく遅くなったんだけど…」そう言うもんだから、てっきり中学時代に貸していた本を返してくれるんだと思ったら、なんと誕生日プレゼントをくれました。約3か月遅れ。本は、未だに返ってきていません。

 1995年4月3日。電話口で母親とケンカ(日常茶飯事)。翌4月4日朝早く、母から電話。眠いわうるさいわで機嫌わるくなったけれど、用件の後に「おめでとう」と言われ、ちょっとホロリ。「これで結婚できる年齢になったね」――すみません、それは16歳で、私は20歳になったんですよ。ちょっと悪態ついて、また後で自己嫌悪。
 同じく4月4日夕。大学の女子寮で友人たちとおしゃべりをしていたら、呼び出しの放送が。事務室へ行ってみると両親からのけっこうな大きさの花束が。パンツスーツで花束を抱えて部屋に戻ったら、「カッコイイ!」と絶賛。「くるっと回って」とも。ちょっと恥ずかしかったかも。
 同夜。寮監の巡回点呼を終えた後に、友だちの部屋でおしゃべりしながらサークルのビラ作りの手伝い。同室の子のジャマになるといけないから、とミーティングルームへ移動することに。部屋を開けると、寮で仲のよかった4人の友人がずらりと並び正座して、「おめでとうございます、姉御」と。プレゼントはティーポット、熨斗つきでした。何喰わぬ顔でたくらんでいたらしく、すっかりだまされていました。嬉しいサプライズ。

 2010年4月5日。府立植物園。あの時、こんなに桜は咲いてなかったな、あの時どこにいたんだっけ、あの後で植物園って来たかな、あの時のあの子どうしてるかな……と思い出しながら、今は職場関係の仲間と歩く。
 あの時――15年前の4月5日。奇しくも同じ日に同じ場所。府立植物園。その日は、サークル(子どもたちと遊ぶサークル)の大イベント。1回生が初めて1回生だけで(実施する時は2回生初めだけど)大きな企画をやり遂げる、という「1回生企画」。春休みに長期帰省をしていたために、企画準備をあまり手伝えなかったけど、当日は楽しみながら参加。そして反省会も終わり、打ち上げの会場へ。私たちのグループは到着が遅れたのですが、入るなり「Happy Birthday」の大合唱。打ち上げの席まで、みんな私の誕生日に触れないようにしていたらしい。正直、みんな何も言わないからさみしく思ってました。ほかの仲間の誕生日にはいろいろサプライズ企画をしてたのに、って。でも、これも嬉しいサプライズ。ほとんど歌ってもらった記憶のない「Happy Birthday」に照れながらも感激。

 子どもの頃、誕生日にお祝いをしてもらった記憶は、ない。お誕生日にケーキにローソク立ててお友だち呼んでお祝い……なんてテレビの中だけの話だと思っていた。4月の初めなんて、どこもかしこも忙しい。お寺だって忙しい。ちなみに上の兄は秋彼岸生まれ、下の兄はお盆生まれで、兄たちに比べたらもう少しマシだったのかも。でも、やっぱり私の誕生日も“家族でお祝い”はなかったと思う。兄もそうだから、別にそれでかまわなかった。弟はやってもらってたかもしれないけれど。小さい頃は完全にケーキ(それも生クリーム)が食べられなかったし、ケーキが食べたいわけではなかったけれど、テレビで見るああいうのに漠然とした憧れに似た思いはあったような……。

 子どもって容赦なく人の大切な誕生日を「死と死でエンギが悪い」とか「おかまの日」とか言ってくれる。でも、4月4日は、し(4)とし(4)が合うから、“しあわせ”の日――とおばあちゃんは小さい私に言ってくれた。おばあちゃんの言葉も忘れたくない誕生日の思い出。

 小学校に入学した年…7歳の誕生日は、寝込んでいたはず。入学式直前まで熱が下がらなかったから当日の朝、注射を打ってもらって、少し遅れて登校。1週間ぐらい寝込んでいた記憶があるから、誕生日も当然布団の中。小児喘息だったから、しょっちゅう寝込んでた。保育園は休まずにひと月行けたことは数えるほどしかなかった。それが今では信じられないくらい元気になりました。

 予定日を10日ほど過ぎた1975年4月4日22時22分。私は生まれた。
「“生まれる”という言葉は必ず受身形。自らの意志でこの世に出てくることを表す言葉はない。“生む”という言葉は親の立場からの言葉で、自分は必ず“生まれる”、“生んでもら”っているんだよ」
と言った国語学の先生の言葉を思い出す。誰だってひとりでこの場にいるんではない。そのことに感謝して、

「誕生日、ありがとう」

(2010/4/6)