昨日は、とある映画を見てきました。
映画とはいっても、映画館ではなく公共施設のホールでの「上映会」です(無料ではないです)
それは、「ゆずり葉」という映画でした。

「全日本ろうあ連盟創立60周年記念映画」…ということからもわかるように、ろう者――聞こえない人たち、を描いた映画です。
障害のあることによる差別、苦しみ、つらさ、悲しみ、現実……。
ばかりではなく、ちょっと作りすぎじゃない?!ぐらいに思える珠玉の「ラブストーリー」……。

“障害”とか“手話”とか“最愛の人を突然失う悲しみ”とか“病魔におかされ余命いくばくもない”…とかいうと「お涙ちょうだい」といって敬遠する人がいます。というか、実は私も多少そういうところがあるんですが。
「お涙ちょうだい」けっこうけっこう。上等です。泣きたきゃ泣いたっていいじゃないか。かなり泣いてしまいました。

手話だから、とか特別な思いを持たずに見たらいいと思います。(とはいってもそういう私が多少特別な思いを持って見たのだとは思うのですが)
人が人と出合って何かが変わっていく……。
そういう当たり前といえば当たり前のストーリーです。
それは、映画に限らず、誰の人生でもそれの連続だと思います。

いろんなことを思い考えたのですが、ひとつだけ。
“障害があること”を理由に、仕事に就けない――劇中では薬剤師の国家試験に受かったのに免許が却下されたというのと、役者のオーディションで落とされた――という話。
聴者がこんなことを言います

「聞こえなくてもできるような甘い世界じゃないんだ」

少し前にとあるところで読んだ文章なのですが、図書館が舞台になったドラマ等の作品で、障害をもつ図書館員が出てくることがあります、と。(「ビューティフルライフ」「ラブレター」など)
うろ覚えで申し訳ないのですが(そもそも全部しっかり読んでない文章について書くのもどうかと思いますが)、確か
「図書館というのは障害者にも務まるような職場だと世間にイメージされてるようだ」
という感じの文章だったと思います。
ホントはイメージよりハードな職場だよ、と言いたいのでしょうが、昨日になってふと、何とまあ上から目線なのだという気がしてしまいました。
そして、実は私にもそういう気持ちがあったことに気づいてしまいました。
ホントはさ、障害のあるなしではなく、できる人はできるしできない人はできない、の世界だよね。図書館だけでなく、きっと社会全体がね。
でも、そうは思えてなかった自分がいます。

映画の中で、差別をなくそうとする運動のことを「をかける」と言っておられました。
“橋”をかけなければつながらないくらいの隔たり…“川”があるということなのでしょう。
この映画もそういう橋なのかな……と思って見ました。
橋がどんどん多くなって大きくなって、地続きぐらいになったらいいんでしょうね。


さてさてこの映画、いつでもいつまでも見られるわけじゃないので、上映場所と日時をお確かめの上、ご覧くださいね。
ほら、逃すと見られなくなるよ。
上映スケジュール(地域別)