雨は、時おり強く降り、次第に小やみになり、また強く降り、そしてまた弱まり……。日は昇れど雨雲の上から淡く光差す――。雨の少ないこの年の梅雨の中で、めずらしく梅雨らしい1日となりそうな朝だった。そんな梅雨のひと日を、雨を厭うではなく楽しむかのように、花は――咲き、そしてその花を人は――愛でる。

 午前11時。「妙心寺前」でバスを降りる。ちょうど雨が上がり、雲間から日も差し、これからどんどん蒸し暑くなりそうだ。待ち合わせをした彼女が道向こうに現れ、少し小走りにこちらにやってくる。
「おはよう。遅くなってごめんなさい」
「いや、私も今来たところだから」
2、3あいさつの言葉を交わし、丸太町通りから北へ向かう小道へとゆっくりと歩き始める。ほどなく、妙心寺に着いた。

027a-myosinji-map  着いたのは、妙心寺の南側…南総門ではなく少し東寄りの入り口である。妙心寺というのは広大な敷地に数多の塔頭(たっちゅう)を抱える、巨大な禅寺である。
 京都に来たばかりの頃にこの近くで活動していた私は、南側からの妙心寺しか知らなかった。妙心寺は丸太町から少し北にあるものだと認識していた。ある時、妙心寺北門前からバスだか嵐電だかに乗る用事があり、人に連れられて歩いていたら、南門から北門まであんなに距離があるものだとはつゆ知らず、歩けど歩けど妙心寺の敷地内で、愕然としてしまった覚えがある。妙心寺という名前を知ったばかりの頃の青い思い出だ。
 そんな過去の自分に一瞬思いを馳せ、そして現実に横にいる少し年上の女性に意識を戻し、また歩いてゆく。それにしても……やはり妙心寺は広大だ。
 

027b-yajirusi  目的地は、宿坊でもある塔頭・東林院。普段は非公開だが、一年のうちに三度だけ公開される。新年の「小豆粥で初春を祝う会」、秋の「梵燈のあかりに親しむ会」と、そして今回の「沙羅の花を愛でる会」である。沙羅の花はここでしか見られないというわけでもないのだが、やはりめずらしい花には違いない。昨年だったか「是非見たい」という話になり、「一緒に行きましょうね」という約束となった。忘れないように、と何か月も前から手帳の6月の頁に「東林院 沙羅」と記しておいたものだった。……道しるべに従い、東林院へと進む。
 東林院へ続く道へと折れると、見事な紫陽花たちが出迎えてくれた。

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「私、こっちのよりこっちのアジサイの方が好きなんです」
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と、彼女が額紫陽花(ガクアジサイ)を指差した。同じように私も額紫陽花の方が好みだったので、「私も」と答えた。

 受付で抹茶付きの拝観料を払い、券をもらい、中へ進む。庭に、くちなしのものと思われる甘い香りがふわりと漂っている。
 建物の入り口で履き物を脱ぎ、先ほどの券を係の人に渡す。入ってみると、雨の平日という割には先客が多くあった。ただ、やはり平日であるせいか年輩の女性客が多くみられ、私たちのような年齢の参拝客は少なく思われた。中に入りひとまず、私たちは本尊に手を合わせた。……と、彼女の名前が呼ばれた。抹茶の準備ができたようだ。
 抹茶と、沙羅の花をかたどった和菓子が出された。きちんとした茶の作法は知らないが、おいしくいただくことはできた。庭に面した縁側では、住職が語る法話にたくさんの人が聞き入っている。団体客がいるようだ。私たちは、また次の回で話を聞こう、ということにして、しばらくゆっくりとお茶をいただき、室内をうろうろとした。聞くともなしに、住職の声が聞こえてくる。

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 ――人はただひとりで生まれてくるわけではありません。誰にも必ず両親があります。あなたのお父さんお母さんにはそれぞれに両親があり、またそれぞれに両親がいて、そうやって数えていって20代遡ると100万人以上に……
 少し驚いた。私は本業とは別に、とあるところに愚にもつかない駄文を掲載している身なのだが、前日に書いた内容と同じことを住職が語ったのである。「シンクロニシティ」…という言葉がふと頭をよぎった。傍らにいる彼女に「実は、昨日書いた内容と……」と話しかけたら、よくわからない顔をしている。そうか、彼女は別に自分の読者ではなかったんだ、と苦笑した。

 さきほどの住職の話が終わったようだ。昼食の精進料理の準備ができたようで、花の名前を冠した団体の名前が呼ばれ、ぞろぞろと、少し騒々しく移動しだした。最前列の縁側が空いたので、2人並んで腰掛ける。沙羅の庭を眺める特等席だ。潤いのある少し重いしっとりとした空気と、朝まで降っていた雨が残した粒が、青々とした苔の庭と白い沙羅の花をいっそう引き立てるようにも見える。

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 次の住職の話は、何時になるかはわからない。他の参拝客は、沙羅の花を記録に残そうと、思い思いにカメラを構えている。彼女も、携帯を構えている。私も、立ち上がって沙羅の花をファインダーに収める。
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そう聞かれ、私はデジタルカメラの映像をいくつか見せた。
 縁側に並び足をぶらつかせながら、もったいないくらいののんびりと静かな時間を過ごす。「ただぼんやりする 何もない贅沢があります」――パンフレットの言葉通りだ。私たちは、職場のこと、家のこと、今日の天気のこと、今いるお寺のこと、目の前の沙羅の花のこと、……いろんな話をしながら待った。
 しばらくそうやっていると、住職がマイクを手に戻ってきた。「難しい話ではなく、サラッと話をします」と前置きをして、住職が話し出した。
 

――この東林院には、花の付いている沙羅の木が方丈前に11本あります。

……参拝客の声が静まり、住職の声が寺に響く。

――あの大きな木は、樹齢三百数十年になる古木です。ご開基の供養に、と植えられたものですが、4年ほど前に木としての寿命を終えました。しかし、その命をムダにしたくないという思いから、その木から結界や観音さまなどを作り、あの大きな沙羅の数珠も作りました。また焼き物の釉薬にも使っています。命は朽ちるものですが、形を変えて生かすことができます。日本人は古来からそうやって生活してきました。


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――この沙羅双樹は学名を「ナツツバキ」といい、朝に咲いた花が夕方には散ることから「無常花」とも言われます。
「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理を表す」
と平家物語にもありますね。短い命を生きる、ということ。世の中は移ろいゆくものである、という無常。何者も、過去には生きていないし、未来を生きるものではない。真実の命はただこのひと時。沙羅の花は咲いてその日のうちに散り、落ちた花は色が変わっていきます。そしてまた次の日に新しい花が咲きます。新しい命が生まれるのもまた無常です。

――ここにある11本の木は、大きな古木の子でありまして、1本1本ようすが異なります。庭の左手前の木……

私たちの座るすぐ目の前の木を住職が話題にした。

027k-saranoki ――……その木は賢いもので、3本に分かれていますでしょ? 地面に水分が少ないと真ん中が自ら枯れるんです。そうやって残りを生かそうとしてるんでしょうかね
――今この瞬間も絶えず変化しています。人は、生まれてから70年ほど経つと、生まれたときに持っていた細胞がなくなってしまうんだそうですよ。
――私のために生まれてきたものは何ひとつとしてありません。ただ、その生命で生かされています。この瞬間さえ、いただいて生きています。全ては見えないところで繋がっています。そこから感謝の気持ちが生まれます。感謝、懺悔(さんげ)する気持ち。いただいたものを返すことはできません。だから、報いて生きる、使い切る……ということなのです。
――無常…無常だと感ずるところから、無常…世の中は流動的な世界に成り立っているというその世界を観る、見つめるという風に一歩進みましょう。限りある命をあじわって生きていくことで、自分が何をすべきか、ということがわかります。私が私として生きていくこと以外に、私の生き方はありません。
 最後に一息座禅(と言ったと思うが少し聞き取れなかった)というのか足も組まない簡単な座禅をし〈己を見つめ〉て、住職の法話は終わった。

 聞き入っていた人たちが、立ち上がって寺を後にしていく。私たちは、話を思い出しながら、再び寺の中と庭を眺めて歩く。それぞれ土産を買い求め、東林院を後にした。最後に門までの前庭をもう一度ゆっくりと鑑賞し、門をくぐった。ほとんどの人はすでに立ち去っており、その時いたのは私たち2人だけだった。受付のおじさんが、「せっかくだから2人一緒の写真を撮ってあげるよ」と申し出てくれ、門の前で記念撮影をした。私たち2人は、どのような関係に見えたのだろうか。ぎこちない笑顔で並んで映った。

 それから2人で、妙心寺内を少し歩いて見て回った。紫陽花と水琴窟と鹿威しのある庭を拝観し、そして入ってきた方と逆の北門へと進み、門を出た。北門からほど近いところにある、ゆったりと時間の流れるカフェで、遅めの昼食をとった。

 ……雨はすっかり上がり、地面から湿り気を帯びた熱が立ちのぼってきていた。


《写真ギャラリー》

東林院(主に住職の)作品集

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沙羅以外の東林院(及び妙心寺)風景

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寺院名称:東林院(妙心寺塔頭)
行事名称:沙羅の花を愛でる会
開催日時:6月12日~6月30日 9:30~16:00
場所:京都市右京区花園妙心寺山内
妙心寺へのアクセス:
   (南門)市バス「妙心寺前」かJR「花園」駅下車
   (北門)「妙心寺北門前」下車、あるいは嵐電「妙心寺」下車
   (いずれも妙心寺どちらかの入り口まで)徒歩数分
東林院へのアクセス:妙心寺の南側から入って北東方向へ進むといいでしょう。
拝観料:抹茶付き…1,580円、精進料理付き…5,570円、沙羅の夕べ…12,000円
注意:花を見るだけでの入山は不可。必ず抹茶か精進料理を選ぶこと。
お土産:沙羅の生菓子、沙羅のハンカチ、妙心寺御用達阿じろのごま豆腐等あり。
西川玄房住職:説法はもちろん、観音さまを彫り、沙羅の屋根瓦(?)を作り、精進料理を作り……多彩なアーティストかつ名プロデューサーとお見受けしました。
少し参考にした文献:
    佐和隆研ほか編「京都大事典」(1984年、淡交社)
    東海大光、長田弘「古寺巡礼京都21 妙心寺」(2009年、淡交社)
    『京都散策(2007年春号)』(2007年、JR西日本?
    小栗左多里、トニー・ラズロ「めづめづ和文化研究所 京都」(2008年、情報センター出版局)
※情報は全て2009年6月のものです。日時や料金等、今後変更もあると思います。
(2009/6/29)