ぶつぶつノート ~ごはんおかわり~

たとえアイコンがうさぎになろうとも、ヒト型ネコはゆずらないっ!
ごはんおかわり! お茶も!
あ、ぶぶ漬けでもどうですか?

――それは、ひとめぼれだった。

私と「ぶたぶた」との出会いは約2年前。2001年秋頃だったか。私は友人と京都観光の途中でとある本屋に入った。そこで、2人で「ぶたぶた」に出会い、惚れ込み、家に連れ帰ったのだった。

ぶたぶたは、本名・山崎ぶたぶた。今までに数多くの職に就いてきたらしい。ある時はベビーシッター、ある時はシェフ、またある時はタクシードライバー、そしてまたある時は盗犯係の刑事。人当たりがよく、仕事もでき、周囲の人から尊敬されそして愛される、そんなおじさんのようだ。美しい奥さんとかわいい2人の子どもたちのよきお父さんでもあるらしい。そんな彼は、実はぶたのぬいぐるみ。ピンク色のバレーボールぐらいの大きさをした、黒いビーズの点目に少しそっくり返った右耳を持つ、かわいらしいぶたのぬいぐるみが山崎ぶたぶたの正体である。

でも、主役はぶたぶたではない、と私は思う。あくまで、ぶたぶたに出会った人たちのお話である。悩みがあったり、イライラしたり、笑ったり、怒ったり、泣いたり…。そんな普通の人たちがぶたぶたに出会ってしまうお話。初めてぶたぶたを――動いて喋るぶたのぬいぐるみを見て、驚いて、話して…そうして自分の何かが変わる。だから、読んでるこっちもぶたぶたに会ったような気持ちを味わえる。

小説だから冷静でいられるんだろうけど、現実にぶたぶたが目の前に現れたら、私はどうだろう。私は現実を直視できるだろうか。ありえないと思っているから楽しんで読んでるんだと思う。でも、もし実際に、私が入った喫茶店に、コーヒー飲んでるぶたぶたが隣の席にいたりしたら、私はどう反応するんだろう。想像つかないけど、かなり楽しい想像だ。

接点がなかったら、ぶたぶたの行きつけのお店に私も通う。がんばって通う。そしていつか「よく会いますね」みたいな感じで話しかけて、できたら友だちになりたい。あるいは、同僚。年はだいぶ違うと思うから、同じ職場に上司あるいは先輩としていてくれたらいいなぁ。たまには飲みに行ったりしてじっくり、お話したい。ぶたぶたが上司だったら「今日ちょっと飲みに行こうか」と言われて行くような気がする。

私はぶたぶたを、単にかわいいキャラクターとか、癒し系とか、そんな言葉で片付けたくない。ぶたぶたは人をよく見ていて、洞察力が鋭い。どんなにかわいらしく見えても私なんかよりはるかに人生経験が豊富である。苦労もしてるんだと思う。だから、ぶたぶたから出てくる言葉は本当に優しいんだと思う。こんな人(人じゃないけど)いたらいいなぁ、と思わせられる人(人じゃないけど)なのだ。

だから、会いたい。あぁ、ぶたぶたに会いたいなぁ。

(矢崎存美「ぶたぶた」2001年4月、「ぶたぶたの休日」2001年5月、「刑事ぶたぶた」2001年6月、全て徳間書店、徳間デュアル文庫)

ぶたぶた  ぶたぶたの休日  刑事ぶたぶた

(2003/10/29)

タイトルを今風(?)に片仮名で書いてみました。別に意味ないケド。

なぜかついつい見てしまうのよね、占い。正直言って、占い、苦手っていうか、嫌い?(語尾上げ) 占いが嫌いだって話をすると、女の子に嫌われることもあるけど、嫌いなもんは嫌いなのよ(これって逆ギレ?)。

えーと、まず、テレビでやる占いが嫌い。というかよくわかってないんで誰か教えてください。ラッキーカラーって何ですか? その色の何かを身につけたらラッキーなの? 見たらいいんですか? ラッキーメニューって何? それを食べたら1日ラッキーなの? それを食べたらその直後からラッキーになるの? ラッキーメニューが「グラタン」の時は(実際あった)もしかして朝に食べた方がいいのかしら? 朝から食べたくないけど。ラッキーポイント「健康診断」(実際あった)って何なの? いきなり健康診断受けろって言われても…。あ、受けなかったからアンラッキーだったのかな? 世界で最も不幸な星座グループの中のさらに不幸な人間グループなのね。…いったい、あの日私と同じ星座の人はどれくらい健康診断を受けたのかなぁ。

私にはあのランキングってやつがわからない。ってゆーか、許せない、のかな。何を基準に順位がつけられて、その順位に何の意味があるの?

私、思うんだけど、幸せの感じ方って人それぞれだし、順位なんて決められないと思うんです。あの占いって、「明るく、社交的で、彼氏や彼女がいると幸せ」ってタイプの人を想定してません? 「今日はみんなと楽しくてお話できそう」がラッキーかどうかは人それぞれだし、もし、「意外な人から告白され」たりしたら、ラッキーというより、困ると思うんだけどなぁ。

“占い”が世の中に存在することは別にいいんです。星を見て行く末を見通したり、水晶やタロットカードやイワシやサバ(サバはないか?)で未来を見たり、そういうことができる人がいても、全然問題ないと思うのよ。当たる当たらないの話じゃなくて、見える見えないの話ね。私に見えないだけで、何らかの素質があるとか、それなりの訓練を積むとか、そういう技術(?)のある人には見える、のかも知れないと思うんですよ。

ただ、いま世の中にあふれてる“占い”って、何となくそういうのと違う気がするの。

こないだ星座占いの本を立ち読みしたのよね。各星座で1冊になってるの。自分の星座のを手にとってパラパラと読んでみて、うん…まぁ…合ってるかな、という記述もあったかな。その時に、一番「当たってる」と思ったのと、「何じゃこりゃ」と思ったのが一緒だったんだけど。「胃腸が弱い」。そりゃないでしょ。私と同じ星座で同じ血液型の人はみんな胃腸が弱いんでしょうか? そんなことないでしょ。職場で隣の席の人(星座と血液型が同じ人)に確認しました。そしたら違うって。

そう、私が占いにどうも納得がいかないのは、同じ性格や運勢のたくさん人がいるの?ってこと。血液型なら4種類の人しかいなくて、星座なら12(あるいは13)種類の人しかいないの? 誕生日別の性格占いとかいうのもあって、確か「生まれた日で人の性格はほぼ決まります」というようなことが大胆にも書かれてた。そうなの?

私は、「××座の人間」でも「○型の人間」でもなく、「私」じゃないのかなぁ。星座とか血液型とか生年月日とか、そういうものは私のデータの一部でしかない、と思ってるんだけど。

そんなに難しく考えないで楽しんだらいいじゃないの、みたいなことをけっこー言われる。うん、自分でも分かってる。かなり理屈っぽいよね、私。「あ、今日のあたしラッキー♪」って朝の占い見て喜んで、「あたし○○座だしぃ、××座の彼とぉ、相性いいのぉ~」ってやってたらいいんだろうとは思うけど。

「けど」なのよね。結局のところ、当たったから何?って思っちゃうのよ。私の性格ばっちり当たってるー。で、それで何?って。わーすごーい、ぐらいかな。今日はぁ、ラッキーアイテムの「グリーンアスパラガス」持ち歩いてたから、憧れのあの人とお話できたのー。ってそれは「グリーンアスパラガス」のおかげなの?

当たっていようがはずれていようが、結局は生きていれば楽しいことも辛いこともあるんじゃないのかなぁ、って思うの。占いがあってもなくてもそんなに人生に、少なくとも私の人生に影響ないと思うのよ。

だからさ、私は占いが嫌いなのよ。

でも、悔しいのは、キライだキライだと言いつつ、けっこう見てしまうところなのかもなぁ。ね、私けっこう見てるでしょ。

(2003/10/28)

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