ぶつぶつノート ~ごはんおかわり~

たとえアイコンがうさぎになろうとも、ヒト型ネコはゆずらないっ!
ごはんおかわり! お茶も!
あ、ぶぶ漬けでもどうですか?

新着案内コーナーをつくりました。
でも、かんじんの新着資料がまだありません。
とりあえずこれまでの作品。
10/5  明日から…。(作文室)
    「読書感想文の書きかた」を読んで(読書感想文室)
10/9  遺書(作文室)
10/16 Navel of Kyoto(地域情報資料室)

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 京都の「へそ」です。写真はその「へそ石」です。紹介するのは私のイチオシ観光スポット、六角堂です。
 へそと言われるだけあって京都の真ん中、烏丸六角にあります。六角通りは四条通と三条通の間、烏丸通りは京都駅からまっすぐ南北にのびる道路。真ん中ですね。そんなにぎやかな街中にあって、ほっと落ち着ける、「京都」がそこにあります。
 六角堂(頂法寺)は聖徳太子の創建と伝えられており、つまりは京都が京都(みやこ)になる前、平安以前からあるということになります。また、浄土真宗の開祖・親鸞上人が「法然の下に行け」という聖徳太子の声を聞いたのもこの六角堂です。そして西国巡礼三十三か所の十八番の札所でもあります。六角堂は、日本の仏教の始まりと変革と庶民の信仰とに深く関わってきました。さらに、華道・池坊の発祥の地でもあります。
 そういう、歴史の深さを感じさせる六角堂ですが、何だか馴染みやすい、庶民的な雰囲気を持っています。聖徳太子と親鸞上人の像はもちろんありますが、実にたくさんのお地蔵さんがおられます。また、これがかわいらしいお地蔵さんなんです。私のお気に入りは「一言地蔵」。他にも、「合掌地蔵」、子どもを守る「わらべ地蔵」や、なぜか私に似ている気がするお地蔵さん(下の写真左)など、バラエティー豊富(?)。どのお地蔵さんも庶民の願いを叶えようとしてくれる心優しいお地蔵さんたちのようです。池坊が発祥したのも仏さまにお花をお供えしていたことが始まりだそうです。仏さまも人もやさしいお寺なのです。
 境内には他にも、見事な白鳥と鯉のいる池や、その辺で買い物しているおばちゃんのような仏像(下の写真右)など、見どころ満載です。隣の池坊のビルのエレベーターから六角堂が見下ろせるそうです(未確認)。
 そして、こんな見どころたっぷりの穴場的観光スポット・六角堂は、何と拝観料が無料なんです。長々と説明しましたが、お勧めのいちばんの理由は「タダ」ということ。京都の社寺の拝観料は高いです。ぜひ、六角堂へどうぞ。

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名称:紫雲山頂法寺(通称「六角堂」)
場所:京都市中京区六角通り東洞院西入る堂之前町(だいたい烏丸六角)
ポイント:無料

(200310/16)

死ぬつもりはないし、死にそうな兆候もないし、まだ当分死なないとは思うけれど。

もし今、私が死んだら、私は何を考えるだろう。

我が人生に悔いなし、と言えるだろうか。

いっぱいやりなおしたいことがある。あんなこと言うんじゃなかった、ということもたくさんある。過去に戻りたいと思うこともある。

でも、いつも思うことだけど、その過去があって今がある。今の私は今の私にほかならない。いろんな分かれ道でいろんな選択をして、私は今の私をつくってきた。だから、これでいいと思っている。ほかの私は知りようがないし、比べようがないから、この私がいちばんだと思う。

私が私に生まれてきて、私が出会った人がその人として生まれてきて、出会えて、今の私があることを有り難く思う。だから、ありがとうございます。

私は、幸せだったと、思って死んでいる。

※3年ほど前(2000年頃)に気まぐれで書いた「遺書」です。書き直そうと思いましたがほぼそのままです。死んだらホントに遺書になりますが、冒頭に書いた通り、死ぬつもりも予定もありません。慌てないでください。あと、遺書があるからといって殺そうとしないでください。死にたいわけではありませんので。

(2003/10/9)

 この本の著者が冒頭で言うように、私も、読書感想文は嫌いだった。そもそも、読書感想文を好きな子どもなんて、いや大人も含めて、そんな人いるのだろうか。

 こんな本を読んだくらいで読書感想文が書けるもんか。正直、私はバカにするような気持ちでこの本を読み始めたのだった。

 そもそも、実は私は読書感想文が苦手ではなかった。作文類の入賞は多く、もちろん読書感想文でも何度か賞をもらっている。この本に書かれている「コツ」は、「あらすじばかりを書かない」「どう思ったか、を書く」「自分だったらどうか、を書く」…など、学校の先生も言うことである。それを守っていたら確かにそれなりの読書感想文は書ける。だから苦手ではなかった。だが、それでも好きではなかったのだ。

 本を読むのが好きな私にとって、読書感想文は何だかいやなものだった。「いい子」だった私は先生に気に入られる感想文を書こうとしていたのだろう。そのためには「いい感想」を持たなければならないし、何より「いい本」ひいては「いい感想をもてる本」を読まなければならなかった。そして、それは「思ったことをありのままに書く」ではなくなってしまうのだった。

 最近、中学生時代の文集が見つかったが、私の「ブンナよ、木からおりてこい」が収載されていてすごくはずかしい。生きることについて語った気恥ずかしい文章だが、感想文のために読んだ本であるので、そうなったのだ。実際に読みながら「死とは…、生とは…」とか考えたりはしない。

 もちろん全く考えずに読むわけではないが、いちいち本を読みながら「ここはこういうことを言いたいんだ」とか「自分だったらこうはできないなぁ」などとは思わない。物語に没入することの方が私には大事なのだ。だが、感想文を書くとき、そう、「ブンナ」を例にとれば、感想文のメインテーマをきめて、何を書くか考えながら読んだのである。

 私はそれは嫌いだが、それをしろ、「行間読み」をしろ、とこの本は言っているのである。もちろん、それで読解力や表現力が養われるのは事実である。が、しかし、読書感想文が、何ともやっかいでわずらわしい「宿題」であることには変わりないのである。

 この本には多くの優秀な読書感想文が収載されていた。きっとこの子たちも私と同じような人ではなかろうか。感想のために本を読み、書くための感想を持ち、読んでもらうための感想を書くのである。

 だが、その中でも一つ驚いた作品があった。「『諺・故事・金言小辞典』を読んで」。見事な感想文だった。彼は印象に残った諺等を挙げ、教訓を得ているのである。切り出しは「青菜に塩」と先生に言われた経験である。完璧である。いたく感動した。

 というか、やられた、と思った。いつか「『新明解国語辞典』を読んで」書くつもりだっただけに。負けた。

 そう、私は「読書感想文の書きかた」をなめきっていたのである。実は深く考えさせられる本だったのである。本を読むとは、感想文を書くとは、いったい何であるのか…。これから私は、押しつけられた宿題ではなく、単なる自己満足のための感想文を書いていこうと思う。そう、「『諺・故事・金言小辞典』を読んで」に負けない感想文を…。

読書感想文の書きかた
(松尾弥太郎・編著「読書感想文の書きかた」ポプラ社、1978年)
(2003/10/5)

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