ぶつぶつノート ~ごはんおかわり~

たとえアイコンがうさぎになろうとも、ヒト型ネコはゆずらないっ!
ごはんおかわり! お茶も!
あ、ぶぶ漬けでもどうですか?

今日から少しずつ日常へ。

2月末の義母の緊急入院(ショック)から、その日に車をぶつけ、次の週には友人の退職を聞き(大ショック)、数日後にはイトコが倒れ翌日死亡、義母は退院したものの(終わりの始まり)、途中大好きなラーメン屋さんの閉店にショックを受けたりしつつ、前述の友人の壮行会を無事に完遂し、新年度に入ってからは自分が休んでもなんとかなりそうなようにと思いつつ仕事して、最期を迎える準備をし始め、翌週あたりがヤバいかと近い親族の誰もが思っていたところに「息を引き取られたようです」の一報が入りました。

施設での朝の見回りの時に息をしてなかったらしいので、文字通り眠るように亡くなったのでしょう。

バタバタと落ち着かないひと月半で、ときどき自分が何してるか、何を考えてるかわかんないような時もあったり。

これからやらなきゃいけないこともあるけれど、日常に戻るのだなぁ、と出勤するオットを見て思いました。


福岡県朝倉市という、世間的には(おそらく)マイナーだけど個人的にはわりと見知った土地が、大変な被害に遭ってる。
九州北部豪雨という災害の発生から1週間。
ニュース映像に親戚の家が映るレベル…。

いま私に何かできることがあるか、といえば、やはり普段の生活を送りつつ、九州を応援することだろうか。
よし、店側が九州応援セールをやる前に、勝手に九州応援購入をしよう。
九州応援セールじゃなくて九州応援バイ(buy)だ!

ということで、九州応援ばい
皆さんも一緒に、はい、九州応援ばい!!

応援すっばい!!

朝倉市ふるさと応援寄附金(ふるさと納税)(現在は寄附のみ受付中)

知人が嵯峨祭に関わったので、いろいろ調べたり、見に行ったり、人に聞いたりしたので、ちょっとメモ的に覚え書きなど。

ネットで検索すると、サラッとしたことはいろんなサイトに出てくる()が、ふ~ん…って感じ。
・室町時代に始まった(らしい)
・愛宕神社と野宮神社のお祭りであり、清凉寺と大覚寺も関わる
・剣鉾差しが見られる
・嵯峨全体のお祭り
こんな感じかな。

嵯峨祭の歩み―その起源・構造・変遷―』(古川修、2008年、京都新聞出版センター)

剣鉾のまつり』(2015、京都市文化市民局)
を図書館で借りてきて勉強してみた。
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『嵯峨祭の歩み』の方は、地元の方が書かれた本らしく、いろんな記録に当たってしっかり調査されてる印象。よくわからないことも多いようで、推測の部分も多いけど、しゃあない。
嵯峨という地域の歴史にも触れて、よい本でした。

・室町時代には始まった(らしい)
1419年に、記録上の初出が見られるらしい。それ以前に、棲霞寺(清凉寺の前身の一部)のお祭りだったもよう。
各サイトによく書かれているのは、松尾芭蕉が見た、という事実。これは記録がある有名人だから話題に出すんだろうなぁ。

・愛宕神社と野宮神社のお祭りであり、清凉寺と大覚寺も関わる
これがおもしろいなぁ、と思うんですよね。お祭りって神社がやるのが多いのに、お寺が関わってる。神社も2社のお祭り(両方からお神輿が出る)。
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一方で、エリア内にある超メジャー寺院である天龍寺は前を素通り(これは不思議に思っていた)。

嵯峨祭(の巡行)は、愛宕神社と野宮神社には行かず、清凉寺(通称「嵯峨釈迦堂」、地元では単に「釈迦堂」とも)前の御旅所から清凉寺前を通り、大覚寺に行き、渡月橋を渡り、また御旅所に戻ってくるルート(ルートの一部は年ごとに違うらしい)。
御旅所は愛宕神社と野宮神社の御旅所。
大覚寺は、もともと公式主催者。清凉寺は、江戸時代まで実務主催者。
天龍寺が入らないのは、その成り立ちに大きく関わっているもよう。
大覚寺と天龍寺はどっちも後醍醐天皇にゆかりが深いですし、そのゆかり具合がいろいろあるんでしょうね、という話。
天龍寺(幕府・足利氏)側が、大覚寺(朝廷)側を牽制するかのようにあのへんに塔頭建てたという話はおもしろい。そう言われればそうかも。なんとなく、上嵯峨(現在「北嵯峨」と呼ぶ一帯)と下嵯峨と呼ばれるような地域は、雰囲気が違うような気がするのはそのせいか。
歴史についてもじっくり調べたいけど、今はこのへんで。

・剣鉾差しが見られる
これ、楽しいねぇ。
剣鉾のまつりは京都にたくさんあり、粟田神社の粟田祭がその代表格で、祇園祭の原型と言われているとか。祇園祭の鉾が「鉾」っぽくない気がしてたけど、だんだんと豪華にしていって、現在のものになってきたんだろうなぁ、と解釈。
粟田祭の剣鉾と似てるけれど、嵯峨祭の剣鉾の方が重く、また差し方も少し違うらしい。ひょっとしたら、どこのも違うのかもしれない。

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剣鉾の鉾頭に分銅みたいなのが付いていて、それをカーン、カーンと鳴らして進むのですが、この鳴らし方が違うとか。嵯峨祭の剣鉾差しは、どうやら持ち上げてからの腰のひねりが重要だとか。

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嵯峨祭の剣鉾は「菊鉾」「龍鉾」「麒麟鉾」「澤瀉鉾」「牡丹鉾」の5本。
「牡丹鉾」は祇園祭のくじ取らずみたいな、傘鉾みたいな、鉾の最初か最後かを行くらしいです。中の人に教えてもらった人に教えてもらいました。
そして、粟田祭等ほかの剣鉾差しと少し違うみたいなこと書きましたが、嵯峨祭の各鉾でも足さばきに違いがあるらしい…のですが…よくわかりませんでした。

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全ルートを鉾差ししながら進むのかと思ったら、そんなことはなく、途中はトラックで運ばれてました。
それにしてもいい音で、鉾が邪気を祓い清めながら進む、という意義が伝わるような気がしました。

お神輿の法被に入ってる紋がどこのだろう、と思って考えていたけどわからず、しかし桜を神紋・寺紋を使う例は少ないはずで…と考えていたら、嵯峨小学校の校章だとか。
嵯峨学区全体のお祭りだ、ということらしい。
ということを、ネコのミモロさんのブログで知りました。
地元が支える「嵯峨祭」。神輿や剣鉾の巡行もネコのミモロのJAPAN TRAVEL (Mimoro the cat:JAPAN TRAVEL
どうやらめっちゃ近くにいた気がしますが、見逃したもよう。ミモロさんと3度めの対面が出来なくて残念。

当日は、途中休憩をはさみながら自転車でうろうろしていたら、だいたいいいタイミングで巡行に行き当たり(というか進行を阻まれ)、何度も剣鉾差しを見物することができました。
祇園祭で推し山鉾があると追っかけしたくなる、という気持ちが少しわかったような。
ただし、渡月橋を自転車で渡るのは無謀だった。全然進めなくて…。
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まだまだ奥が深そうで、興味深い祭なので、今後の推し祭にしていきたいと思います。


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5月だけど暑いので、熱中症には気をつけましょう。

※日記じゃない、月記を書くようにしました。

5月は、いろいろあった。
主に
・三尾(栂尾・槙尾・高雄)めぐり
・友人の結婚式
・祭
の三本でした。

体力のない私が山に行くと、後から筋肉痛ではない体の不調が現れることが判明しました。
でも、楽しかった。

お友だちの結婚式は、ステキでした。いい結婚式でした。結婚したくなりました(問題発言)。
いろいろもらいました。

祭は大変でした。でもおもしろかった。

仕事に少し慣れてきました。まぶたのぴくぴくが落ち着いてきた。


自分にそんなことはないと思っていたけど、拿捕ロスに陥っているかもしれない。
特別感謝年が終わって、KANさん分が足りない……。

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